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村上義弘の性格は何処かで仕掛けてしまうだろう。満身創痍、村上の独りっきりの自力勝負は買えない。そんな旨の説明を昨年の展望番組で私は喋った、したり顔で。
グランプリの村上には「恐れ入りました」の賛辞を送りたい。
 
東武野田線〈大宮公園駅〉から競輪場までの道筋は二つあった。中学校の門前を通る経路か畑の方を抜けて行く道程、私はその日の気分で使い分けていた。昔、初めてこの駅に降り、ぶらぶらしたあと小さな本屋を覗いたら〈出目研究〉〈○○必勝法〉……、ギャンブル物のコーナーがあった。さすが競輪場の最寄駅、と吃驚したのを忘れないでいる。
私は出目論者ではないが、数年前、大宮記念の決勝の数字に括目し、一、二、三の目が突出していると騒ぎ出した。いろんな媒体で一と二と三だと吹聴しまくり、その年の三連単は見事に一番車と二番車と三番車の確定板だった。数日間、会う人・逢う人に「出ましたね、一、二、三」と祝われた。握手を求められたりもした。しかし私は……。
私は買ってなかった。魔が差したでは嘘になる。阿呆な推理が邪魔をした。間抜けな計算に惑わされた。ともかく己が力説した一、二、三を買えなかったのだ。
照れ笑いを纏い「勝者」を演ずると、嫌な唾が体を逆流した。
大宮記念の季節がやって来ると、出目の怖さを軀が思い出す。
 

 
 
 
 
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元日の朝、テレビでチャップリンの「モダンタイムス」が放映されていた。
「We"ll get along!」の無声の科白、〈スマイル〉の美しい旋律に正月早々泣かされてしまった。

謹賀新年、読者の皆様、今年もよろしくお願いします。

昨日の村上義弘には「恐れ入りました」の賛辞しかない。

今朝のスポーツ紙に目を通してから仕事、記事作成のパソコンの画面を開く。今日から始まった伊東競輪の場外版を作るので、まずは開催初日のところに「2012年12月31日」と入力、カーソルを進めて作成する日時の欄に2日目の「2」と打つと、箇所は「2013年01月01日」と変わった。
そうだ明日は元日、今日は大晦日じゃないの。

読者の皆様、今年も一年間ありがとうございました。
良いお年をお迎えください。      竹林一彦
1985年12月30日、私は冬空の下、立川競輪場の正門を入ってすぐの前売り車券の穴場に並んでいた。列はとぐろを巻くようにごちゃごちゃと広場を埋めている。翌日の報により当日の入場が39019人と知るのだが、次から次へと人が湧いて来る。〈第一回競輪グランプリ〉は凄い混雑だった。当時は当該車券と前売りの売場は別だ。もちろんマーク・シートもない。メモ紙に記すか口頭か。客の掃けが今より格段に悪かった。延々と待たされ、やっと幾枚かの車券を手にした瞬間の安堵を憶えている。
 その翌年ぐらいからだろうか。競輪八割、仕事二割の過酷な?生活に私の腰は引けはじめる。〈競輪場の金網〉から敵前逃亡した私は数年後、奇しくも現職を得た。27年前の立川競輪場の人混みに紛れていた私が〈競輪グランプリ〉を題材に拙文を寄せている。面映ゆい限りだ。
 08年、09、10、11年と「終ってみれば番手捲り」のグランプリだった。今年の佐藤友和‐山崎芳仁、深谷知広-浅井康太は実際にその「作戦」を実践済みの並びでもある。もう一度〈その気〉が……、佐藤や深谷に〈また引っ張ってもいい〉と腹を括らせる義侠は宿るのか。だからと言って武田豊樹が〈先行〉する絵は浮かばず……。
 少し偏頗になっていないか竹林一彦よ。ひとつ深呼吸、まだまだ発走まで時間はある。

 
昔、京王閣競輪場の少し先に25㍍プールを併せ持つスポーツ施設があった。内田裕也主演の映画〈水のないプール〉のラスト・シーンはそこでロケされている。ロック低迷期の苦い経験から水を抜いたプールでのロック・コンサートを着想し、そこからタイトルに取った、と「俺は最低な奴さ」の文中で内田は回想している。同じ本で内田はギャンブル遍歴も吐露しているのだが、競輪グランプリで二、三百万勝って大晦日のニュー・イヤー・ロック(毎年跨ぎに内田が主催しているロック・フェスティバル)の資金にした話は格好良すぎだ。あれは何年前の立川だろう。スポーツ新聞をごそっと抱え歩く内田裕也と擦れ違った。勇気を出してサインを貰いにゆけば……、今でも私は後悔している。
俺はロックンローラーだから六と九の数字は必ず買う。
そんな裕也氏に倣ってヤング・グランプリは⑥⑨と⑨⑥。

競り負けた選手が後ろを振り返りながら3着取り。まあ、プロの判断と言えばそれまでだが、あんまり見たくない「競輪」だ。と固陋な五十男は思う。
 夜は麻雀、土日は中央競馬。典型的なギャンブル学生だった私が、平日の隙間を埋めるべく多摩川競艇、京王閣競輪、立川競輪、西武園競輪に吸い寄せられたのは〈必然〉なのだろう。
 昔の京王閣は現在のような豪勢なスタンドなぞなく、〈特観〉に類するのが100円、200円、300円のゴール前の粗末な指定席だった。場内にはテレビも少なかったから、選手がゴールするや客はテレビに向って走らねばならない。息せき切って駆け集まり、今では考えられないような貧弱なスロー再生を凝視したものだ。
 昔の女子競輪の話は、競輪帰りの酒場の客や年配の元選手から聞いてはいた。モノクロ映画にセピア色の写真。そんな雰囲気の女子競輪は典型的な〈昭和の興業〉だったと記せば、お前に何がわかると叱られるか。
 彩り鮮やかな自転車のホイール、流線型のユニフォーム……。平成は漢字など使わない。命名〈ガールズ・ケイリン〉だ。加瀬加奈子が50連勝、100連勝してマスコミに引っ張りだこ。そんな〈絵図〉を夢想する私だが、それは無理がある。
 明日は〈ガールズ・グランプリ〉だ。
 

 
夜半から降り続く冷たい雨にちょいと腰が引けたが、立川バンクの杉井なのだからと家を出た。
第二レースが杉井英雄の最後の競走となる。
マークで400円、差して450円。最後の最後に一番人気・二番人気の支持とは複雑だろう。

43期の「名脇役」、杉井英雄。通算343勝、引退の一番は7車立の6着だった。

08年は永井清史を小嶋敬二が番手捲り、09年が平原康多を武田豊樹の番手捲り。10年は佐藤友和が叩いて山崎芳仁の番手捲り、去年、2011年は深谷知広を浅井康太が番手捲りだった。
やっぱり番手捲りだったんだ。
暮れのグランプリが終って毎年そう思う。そして皮肉にも「必殺」の番手捲り者は一人も優勝していない。
 
前夜祭の生中継を見ている。佐藤と山崎はまた同じ並びだと言う。深谷と浅井は考えさせて欲しいと濁した。
 
30日の京王閣、眼前の勝負が終り平常心に戻るのは午後4時50分ごろか。今年の私はどう独り言ちる?
競馬のジャパンカップは20分以上の審議の末、着順どおりに確定した。
もし降着だったら俺は馬単3千円当たってたんだ、と、ぼやいたら、傍にいた後輩に、それより「ウイン5」の2億円でしょうと返された。ウイン5は2票的中で配当が2億円。もし、もし降着裁定でオルフェの優勝だったら当たりは何票あったのだろう。リーチでジェンティルとオルフェ、どちらかを持っていた人の20分は「凄い」ギャンブル、一生一度の博打となったわけだ。羨ましいというより、他人事ながらぞくぞくと背骨が立ってしまった。

などと書いたが、どっちが勝っても俺は持ってたんだよ、まあジェントルの方か配当は高いから祈ったけど…、残り10票(手前4個レース終了時)全部俺らのグループ買いだから走る前に万歳してた。というケースも考えられるのか。
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