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1985年12月30日、私は冬空の下、立川競輪場の正門を入ってすぐの前売り車券の穴場に並んでいた。列はとぐろを巻くようにごちゃごちゃと広場を埋めている。翌日の報により当日の入場が39019人と知るのだが、次から次へと人が湧いて来る。〈第一回競輪グランプリ〉は凄い混雑だった。当時は当該車券と前売りの売場は別だ。もちろんマーク・シートもない。メモ紙に記すか口頭か。客の掃けが今より格段に悪かった。延々と待たされ、やっと幾枚かの車券を手にした瞬間の安堵を憶えている。
 その翌年ぐらいからだろうか。競輪八割、仕事二割の過酷な?生活に私の腰は引けはじめる。〈競輪場の金網〉から敵前逃亡した私は数年後、奇しくも現職を得た。27年前の立川競輪場の人混みに紛れていた私が〈競輪グランプリ〉を題材に拙文を寄せている。面映ゆい限りだ。
 08年、09、10、11年と「終ってみれば番手捲り」のグランプリだった。今年の佐藤友和‐山崎芳仁、深谷知広-浅井康太は実際にその「作戦」を実践済みの並びでもある。もう一度〈その気〉が……、佐藤や深谷に〈また引っ張ってもいい〉と腹を括らせる義侠は宿るのか。だからと言って武田豊樹が〈先行〉する絵は浮かばず……。
 少し偏頗になっていないか竹林一彦よ。ひとつ深呼吸、まだまだ発走まで時間はある。

 
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