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  競輪をやり始めのころ吃驚したのは◎×の配当の良さだった。競輪競走独特の筋を理解していなかったから、◎○が二百円なのに◎×が千五百円は不思議で、よくその車券を買った。最初は場内で飛び交う「競輪用語」が理解できなかった。阿佐田哲也の「競輪教科書」、三恵書房の入門書、内外タイムスの川上信定のコラム……、等々で勉強した。読んで教わり現場で確かめる。そんな日々が続いた。そして或る日、私は〈R太郎〉に遇うことになる。
 〈R太郎〉は京王閣と立川に台を持つ予想屋だった。中肉中背・黒眼鏡、いかにも予想屋風の帽子を被っていた。声は予想屋でございの濁声ではなかったと思うが、それでも太めの声音だったと記憶する。京王閣の持ち場は確か二コーナー付近だ。私は人だかりの後ろの方で〈R太郎〉の講釈に耳を傾けていた。只聞きばかりでは悪いから、たまに百円玉で紙切れの予想を買ったりもした。本や新聞からの私のまだ生木のような〈競輪理論〉に奴の弁舌を溶かし込む日々。〈目的意識と自然成長〉などと記せば青臭いが、お前の競輪の師匠は誰ぞと訊かれれば、〈R太郎〉と私は答えるだろう。
 通い詰めの季節が三十年前。最後に〈R太郎〉の姿を見たのは十五、六年前、否二十年経っているか。時折〈R太郎〉の台を訪ねてみようかとも思ったりするが、時空が逆回転する恐怖が起こり躊躇ってしまう。

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